潮渉の中国縁Ⅳ
大連の虎

今回はW氏に登場してもらうことにしました。
初めて降り立った中国、大連の周水子国際空港でW氏はまず度肝を抜かれました。迎えに来た車は真っ赤だ!(セダンか?山口百恵が唄ったポルシェではない。)、そして運転手の様子も奇怪だ。乗車中ずっと目と鼻の先にある彼の後頭部には、畑の畝間のように縦に三本の剃り跡がハッキリ通っている。虎刈りのように見えるがモヒカン刈りの変形のようでもあり、穏やかではない。しかも夜だというのにサングラスをかけている。新宿あたりの盛り場で夜になるとよく見かけたアノ風体だ。なんとなく不気味だが仕方がない。W氏はひそかに彼に綽名をつけました。「虎刈り風だから老虎l?o h?)、これでいこう。」W氏は臆病な癖に冗談が好きだ。それは私かも知れない。

W氏は東京の旅行会社で中国旅行の全行程を予約しているので、明日はこの観光タクシーに乗ることを運命づけられている。この老虎とほぼ一日行動を共にするのかと思うと気が滅入りました。
 翌朝早く、W氏はホテルの食堂で油条と豆乳の朝食をとりながら、ふと入り口のほうを見た時、そこにサングラスの老虎が立っているのが目に入った。食堂の中をグルリと見回している。悪い予感!W氏は緊張しました。
 彼はW氏を見つけるとツカツカと近づいて来て、青い色のポシェットを目の前に置きました。「俺の持ち物じゃないか!」W氏は驚きました。このポシェットは用心のために所持金を二つに分けて入れておいた片方でした。大事な降圧剤も入っていて、それがなくては旅が続けられない貴重品でした。

夕べは疲れきっていて所持品の確認をせず、知らぬ間にこのポシェットが消えていました。だが、なぜまた老虎が?W氏は気が動転して身ぶり手ぶりで性急に彼へ説明を求め、そして老虎が喋り出しました。W氏は老虎の顔をじっと見ながら、彼の発する言葉の中から理解可能な単語をつなぎ合わせて、あらかた事情が飲み込めました。
老虎が、いつものように朝起き抜けに車を掃除していると、後部座席にそれを見つけた。開けると薬らしいものが入っていた。夕べ最後の客はあなただから、間違いないと思って急いで持ってきたという。W氏はすっかり恐縮して、住まいは遠いのかと尋ねると、彼はここから車で30分だという。「あと2時間もすれば10時にまた迎えに来てくれて会えるのだから、その時でいいのに。」と伝えると「薬が入っていたから。」と言う。W氏の緊張は一気にほどけて、目頭が熱くなった。
 "謝謝!"といって老虎の目を見た。いや、見ようとしたのだがW氏の目は涙で霞んでおり、老虎の方はサングラスをかけているのでその目は見えなかった。「人は外見じゃ分からない。」W氏はしみじみと思った。最近小説で読んだ中国のシャレた言葉を思い出した。 "包子有肉不在褶上"。

10時にW氏は降圧剤を飲み、老虎は出直して来た。こうして大連半日観光が始まりました。ガイドの女性がルートを指示し、老虎がタクシーを運転してお決まりのコースを行きます。
 ロシア人街・・・100年余り前、この地に侵入したロシア人の建てた洋風建築。
 大連埠頭・・・100年前にロシアを駆逐した日本から多数の人と物が流入していった中国東北の玄関口。
 南山住宅街・・・その後大連に移住してきた日本人が郊外の高台に建てた洒落た洋風建築群。 等々である。 大連の歴史を辿る旅はコースの殆どが日本とロシアの旧跡を訪ねる旅であり、中国人が見えて来ない旅でした。五月の空は眩しく輝いているのに、なにやらボーッと靄がかかっているような気がすると、W氏はそう思いました。
そして車は市街地を離れ郊外へ向かい海岸線を南下しました。ガイドの女性がW氏に流暢な日本語で話しかけました。「運転手の頭の後ろ、可笑しいでしょう?」W氏はどう返事したらいいのか一瞬戸惑う。ガイドは続ける。「あれ天然ですよ。」W氏はそうだったのかと思う。だけど特別の感情は湧かない。天然でも人工でも、頭のことはどちらでもいい。老虎の心を俺は知っている。
 初夏の太陽は遮るもの一つない海原に惜しみなくエネルギーを放射し、海と空が渾然となって水平線を煙らせていました。W氏は窓を開けて大きく深呼吸をし、ここは素晴らしいと叫びました。目の前にある老虎の後頭部の三筋の畝間も、昨日のいかめしさは消えて優しげに見えました。気が緩んだせいか猛烈な眠気に襲われました。
 目が覚めたとき、車は大きな広場を走っていました。体を起こして車外に目をやると寝ぼけ眼に人の姿が映り、公園だろうと思いながらボンヤリと人影を追っていると虎が見えました。「停めて!」W氏は思わず体を乗り出して言いました。生身ではなく、石彫の虎が何頭も群れをなして海に向って吼えている。眠気はすっかり吹き飛んでしまいました。W氏は車を降りて一人で石雕の郡虎に近づいて行き、飽かず眺めました。この力強さは一体なんだろう。何頭もの虎が牙を剥いて吼えている。背中の毛は怒髪天を突くといった勢いで逆立ち、胴体には中国の古代紋様が刻まれている。――吼えている。W氏は中国が吼えていると思い体が熱くなりました。芸術は時として自然よりもより深く、人を感動させることがあるのだと感嘆しました。

気がつくとガイドが傍に立っており、「ここは老虎灘l?o h? t?n)と言う有名な公園です。鳥の林やアザラシの演芸館もあって休みの日には多勢の人で賑わいます。」 何組もの家族連れが群虎をバックにして、"茄子!"(qie zi!日本語で「チーズ」の意味。)と言いながら記念写真を撮っていました。「誰が作ったのですか?」W氏が尋ねました。しかし、ガイドは知りませんでした。「大連の人は幸せですね。」と、W氏はとっさに思いついたことを口にしました。本当は「これこそ新しい中国のモニュメントだ!」と、中国語で言いたかったのですが、W氏の語学レベルでは無理でした。
 そして日本に帰国してから3年目、W氏はある日書店で一冊の中国人作家の画集を見つけました。

中国図書専門店でもないその店に中国人作家の美術書が置かれてあるのは珍しく、手にとりページをめくると、スピード感溢れる絶妙な筆致で描かれた梟が、千姿万態、次々と現れました。空間を切り裂くような見事な筆勢、したたかで細やかな感性。ピカソの素描を連想しました。しかしどこか違います。画面に漂っている作者の体温が違うようです。この作家にはピカソと違う東洋があり慈愛がある。次々と梟を観ているW氏の脳裏に突然大連で見た吼える群虎が現れました。「大連の虎と同じ作者ではないか?」という思いが頭をよぎりました。W氏は急いでそれを打ち消しました。梟と虎は縁もユカリもない・・・・・・、しかし、虎は消えてくれませんでした。梟と虎は気脈を通じているようにその鼓動が一つになって聞こえるのでした。本の背文字を確かめると「猫頭鷹百態」、作者・韓美林とありました。W氏はその名を《難忘的人》の小さな引き出しにしまいました。
 その後暫くしてW氏は美術雑誌で韓美林が中国の代表的な芸術家であり、海外にも広く名を知られている存在であることを知りました。そこには大連の群虎の名が挙げられ、彼が初めて手がけた巨大石雕であると記してありました。W氏の脳裏に海に向って吼える群虎が蘇えってきました。
 大連周遊から5年余、平々凡々と無聊の日々を送っていたW氏の前にあの虎達がまた現れて心を揺さぶりました。W氏は大連の虎達が漢方薬のようにじっくりと効いてきたのを感じていました。(2005.2.15)



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