潮渉の中国縁Ⅰ

踊る中国語

私が初めて中国語を習ったのは、いまから60余年前、満州(中国東北地方)の日本人学校でした。
先日旧友と再会した時にその時期が話題になり、「習い始めたのは中学からだった。」と私が言うと、友人の一人が即座に「小学校の高学年からだ。」と言い切り、別の友人がそれに同調したので、結局、私は記憶違いを認めざるを得ませんでした。
よく考えてみると、私が中学時代の印象を引きずっているのは、中学の中国語教師に関恩棋Guan1 en1 qi2)という中国人の先生がおられたからでした。関先生はいつも丈の長い中国服を着ていて、ゆったりとおおらかな風格を漂わせておられました。
 わが悪童仲間も他の教師(日本人)には、「ベアー」(熊)だの「グアズル」(中国語の瓜子儿:スイカやカボチャの種を炒ったおつまみ)だの「タンク」(戦車)などと仲間感覚で言いたい放題のあだ名をつけていたのに、関先生のあだ名はハッキリしたものがなく、「大人(タイジン)」と言っていたような気がするのですが、他に呼びようがなかったのです。
 数年前、NHKのテレビドラマ「大地の子」で残留日本人孤児の養父役で出演していた中国の名優“朱旭”さんを観た時とっさに関先生を思い出しました。容貌がそっくりだと直感したのです。しかし断言はできません。なぜなら私の記憶力の悪さはすでに証明ずみなのですから……。そんなわけで、似ていると思ったのは、容貌ではなくて人柄だったのかも知れません。そういえば、先生のゆったりしたチャンパオ長袍儿)姿は、なんとなく大きな包容力を感じさせるのでした。
 さて肝心の学業の方で記憶に残っているのは、何よりも中国語の美しいメロディーで、もう一つは、その楽しみとは裏腹に注音符号の難しさでした。
敗戦で日本に引き揚げてきてからは中国語とすっかり無縁になりました。敗戦直後の生活はゼロからのスタートで、他を顧みる余裕などなく無我夢中で働いて、定職についてからも仕事は中国とは縁のないものでした。そんな外面的理由もあるにはあるのですが、決定的な理由は心の中にありました。中国は私の生まれ育った土地であり、父母弟妹を失った土地であり、無性に訪ねたい土地ではありましたが、戦後に初めて知った同胞である日本軍がかの地で行って残虐行為を思うと慙愧の念で足がすくんでしまい、私は目をふさぐように中国に封印をしてしまったのです。
 しかし、頭の中からギッシリ詰まったビジネスのスケジュールが定年を迎えて消えた時、中国への郷愁と未完成の中国語への想いが猛然と涌いてきました。そして近所の公民館で中国語講座が開かれることを知り、そわそわと受講に行きました。
 初日、中国人講師の流暢な発音を耳にした時、私は中国語の美しさに感動し、その日一日、心落ち着かず、夜になって奇妙な夢を見ました。どこからか、賑やかに銅鑼とチャルメラの響きが聞こえてきたのです。それを聞くとじっとしてはおられなくなりました。案の定、見覚えのある高足踊りの一隊が現れました。お祭りの日に中国の町のメインストリートに繰り出して来て、町中をお祭り一色に染め上げたあの高足踊りです。竹馬に乗った人が何人も、色とりどりの鮮やかな服を身にまとい、囃子に合わせて体を揺らし、袖を振り、ひょこひょこと、ゆらゆらと、現われてきたのです。そのぎごちない動きはむしろ躍動的で見るものの心を突き上げます。
私はやがて不思議なことに気づきました。彼らの顔には目鼻がなくて漢字が書いてあるのです。「」、「?」、「」、そして「包米」、「点心」、「糖胡児」、まだあります。「当兵」、「打杖」。次から次へと出てきて、ぐるぐる私の周りを回り始めたのです。それがいつ終わったのか、私はいつの間にか寝入ってしまい、まるで覚えていません。翌日、私はぼんやりした頭で思い出しました。あの漢字(繁体字)は全て子供の頃に中国で覚えたものでした。
 私は久しぶりに耳にした美しくて懐かしい中国語に触発されたのでした。そして長い年月をじっと耐えてきた彼ら中国語は、春を待って這い出る虫のように、この時機を待ちかねて躍り出たのだと思いました。その日の夜も彼らはまた現れ、目の前を賑やかに練り歩いてくれました。
私はこの夢が不思議でならず、われながら少しおかしいのじゃないかと心配にもなったのですが、ある雑誌の対談記事で国際的免疫学者の多田富雄さんが、「人間の脳の記憶機能は十代前半がもっとも活発で、その頃の記憶が長く残っていく。」と話しているのを読み、そういえば、私が中国語を習い始めたのは十代前半だったから、そうかも知れないなと妙に納得しました。
 あれから6年、昔の教科書にはなかったピンインや簡体字をようやく覚えて、今《万里中国語学院》で、記憶力の低下に抵抗しながら、かつ先生に手間をかけながら勉強を続けています。そして、少しずつ増えていく中国語が私自らが行った中国への封印を次第に解いていくのを感じています。
 今、この思い出を書いている部屋に、近くの公園のスピーカーから懐かしいニ胡や楊琴や琵琶の響きが伝わってきます。広場で催されているフリーマーケットで景気づけに鳴らしている音楽です。その音の感じはどうやら、ただいま人気上昇中の中国音楽集団「女子十二楽坊」の演奏のようです。(2003.10.13)

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