潮渉の中国縁Ⅲ

中国で初めて使った中国語

いまから5年前の春、私はまだ中国語がろくに喋れないのに一人で中国に行きました。そして現地の夜行列車の中で、たまたま乗り合わせた中年の実業家風の紳士から話しかけられました。もちろん中国語で、しかも早口です。かろうじて聞き取れたのが「開弁 k?ibian」と言う言葉。中国は経済発展の最中で活気づいていましたから、日本人が会社設立のために来たと思われても不思議ではないのですが、私の目的は違うのです。残念ながら彼の推理は外れたと、少々気の毒に感じながら、知っている単語を2つ並べて「懐念、故郷 huai nian gu xi?ng」と言ったのですが通じません。しかたがないので手近にあった土産物の包装紙の端にその4文字を書いて見せたら、彼は首をかしげながら私のペンを取り、「重逢故土」と書き直しました。私は中国東北部いわゆる旧満州の生まれで、その時が55年ぶりの帰郷でした。
もちろんちゃんと通じた中国語もありました。それは大連の周水子国際空港に着いて空港ビルを出た時です。一人旅と言っても不安なので事前に日本の旅行会社に依頼して、空港で私の名前を書いたプラカードを掲げた現地ガイドが出迎える手筈になっていました。ビルを一歩出ると、そこは出迎えやら客引きやらでごった返していて、その中にプラカードがいくつも見えました。しかし、私の名前は見当たりません。焦ってウロウロと人ごみの中を探し回っているうちに、階段を踏み外して、誰かの足を思いっきり踏みつけてしまいました。踏んだ私が「やっちまった!」と飛び上がったほどですから、踏まれた相手の痛さは!!と反射的に振り向いたら、案の定、そこには怒髪天を衝く態の紅潮した壮年男性の顔。今にも殴りかからんばかりの勢いで私を睨みつけています。私はとっさに叫びました、「不起!duibuq?」。すると彼の怒りの形相は見る見る和らいでいき、仕方がないという表情に変わりました。それは私のヘタだけれど真に迫った中国語に思わずほころんだ表情に見えました。

 中国語の四文字で「脱口而出」というのがありますが、あの時のとっさの叫びは正にこの事だったと後で実感しました。日本語で謝ってもよかったのかも知れませんが、とっさに出たのが中国語だったのが正解だったかもしれません。エアー・チャイナ(CA)の中で中国人旅客に挟まってやって来た私は、まだ飛行機を降りたばかりなのにすっかり中国にいる気になっていたようです。あの時もし一発食らっていたら、私の旅はきっと無残にも暗鬱な移動に終始したに違いありません。
 ちなみに出迎えが行き違いになった原因は実に単純なことでした。プラカードを持ったガイドは早くから待っていたのに、なんとマジックで堂々と大書してあったのは「プラカード」というカタカナ5文字で、私の名前は脇のほうに小さく縮こまっていたのです。

私が一人旅を選んだのは、自由に時間を取って、生まれ故郷の山をじっくりと眺め、河辺をゆっくりと歩き、初夏の空気をたっぷり吸いたかったからです。そして、その思いは叶いました。でも一人旅は自由の一方で人一倍の緊張が必要です。ホテル宿泊の第一夜、窓から月夜の河を眺めていて、頭の中を四季折々の思い出が走馬灯のように過っていた時、突然電話のベルが鳴りました。受話器を取ると、たどたどしい日本語でいきなり「マッサージいりますか?」と男の声。私は姿なき闖入者に腹が立ち、「不要 bu yao」と大声を出して電話を切りました。これも「脱口而出」の口でした。なぜか、相手が日本語なのに中国語で言い返していました。

翌日、郊外のガイドを頼んだ司機s? j?)にそのことを話したら、「不要」のくだりで、ニヤッと笑いました。私の口走った「不要」は反射的に日本語感覚で「要らない」という意思を伝えたつもりですが、彼の笑っているのを見て、中国語では「不要」は「してはいけない」という意味でよく使われると教わったのを思い出しました。もし相手がそちらの意味で取ったとしたら、余計なお世話ということになるでしょう。それにしても、「してはいけない」の「不要」だとしたら、後に動詞が続かないと舌足らずじゃないのか・・・・・・。もっとしっかり勉強しておけばよかったと思ったのでしたが、もう後の祭りです。私の頭は空回りするばかりで、ハッキリしているのは月夜の河に寄せる思いが立ち消えになってしまったことでした。
 次の夜もまた電話です。同じ時間、同じ男の声で同じ事を言います。私は「不要」ではない別の言葉を懸命に探したのですが出てこないので、無言で電話を切りました。
 三日目、私は町に出て記憶に残る道筋を辿って歩きまわりました。町の喧騒が子どもの頃の記憶を呼び覚まし、何やら懐かしく心がウキウキします。中国語も何度か使いました。といっても、商店に入って一言、道に迷って一言、ホテルのフロントで一言と、必要に迫られてのことですが、それでも、使っているうちにいくらか度胸がついてきて楽しい気分です。ホテルの部屋に戻るとまた一人ぼっちになります。部屋はガランとしていて、話し相手になりそうなのはあの受話器だけです。今夜も例の電話が来るかも知れない、来たら何と言おう。難しいことは言えないから、ただ一言、「不!! bu」と言おう――と、いささか奇妙な電話待ちの心境になっていました。しかし、この夜、電話はついにかかってきませんでした。
 あれから5年、今あの電話がかかって来たら何と言おうか。「真??!」・・・・これでいいのだろうか? (2004.12.1)


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