潮渉の中国縁Ⅱ
紀元2600年、「孫悟空」と「大日向村」

喜劇俳優“エノケン”(榎本健一1904~1970)の生誕100年記念映画祭が11月に江戸東京博物館で開催されるという告知を新聞で見て、私も中学生の頃にエノケンの映画を見たことを思い出しました。紀元2600年のことです。
 紀元2600年は昭和15年、西暦1940年に当たります。紀元という年号は明治時代に決められたもので、神話の日本書紀の記述を基に神武天皇即位の年を元年としており、天皇の始まりを元年とするので皇紀ともいわれました。
 年号についてはもう一つ思い出があります。当時私は中国東北地区(旧満州国)の町で中学校に通っていたのですが、そこでは康徳という満洲国の年号もあり、街の日本人新聞の日付欄には、右書きで康徳7年(昭和15年)と書いてありました。これらの年号の使い分けはなかなか大変でした。2600年という年号はこの年に突然現れたような気がしました。なぜなら前の年はふだん昭和14年といい2599年とはいわなかったからです。

2600年はその長さの故におめでたい年になりました。11月中旬に日本全国で盛大に奉祝行事が催され、各地で旗行列や提灯行列が行われました。当時の満州国に住む日本人も同じです。マーチ風の「紀元2600年」という歌が毎日ラジオから流れてきて、誰もが皆、すっかり覚えてよく唄ったのです。当時の国情は、中国との戦争は盧溝橋事変勃発から3年も経過しているのに、いつ終わるとも知れず、広大な中国大陸のなかで膠着状態に陥り、当初のような勇ましい戦勝の報は聞かれなくなっていました。国民生活も物資の不足で次第に悪化し暗い気分が漂っていました。この時期に西暦より660年も長い2600年を取り上げるのは、国威を宣揚し、国民の戦意を高揚するための格好の「工具gong1 ju4)」だったのです。

 そんな年に、私はエノケン主演の映画「孫悟空」を見たのです。戦後になってこの映画を戦意高揚の国策映画と批判した人もいたようですが、私は全くそんなことは感じませんでした。孫悟空に扮したどんぐり眼の喜劇俳優エノケンが大活躍します。ほかにもおなじみの喜劇役者が勢ぞろいでした。スクリーンの中で展開される変幻自在の悟空の魔法は文句なしに愉快でした。悟空は掛け声とともに如意棒を銃や飛行機に変えてしまいます。その時、たしか悟空は中国語で「イー、リャン、サン」と叫びました。なかなか語呂がよくて、すっかり気に入り級友と遊びながらよく口にしました。しかし、今それを思い出すと、何故「イー、アル、サン」でなかったのか不思議です。《万里中国語学院》の老師に尋ねても、「イー、リャン、サン」という掛け声は聞いたことがないというのです。

 この映画には子供にも人気の喜劇俳優が大勢出ていました。私の好きだった俳優を一人だけ挙げてみます。高瀬実乗(たかせ・みのる)、妖怪の頭目、珍妙国大王に扮して悟空と奇妙奇天烈な掛け合いを演じました。西遊記にはこんな名の妖怪は登場しないはずですが、そこは漫画なので目をつぶるとして、とにかく愉快でした。この俳優は多くの映画に出ていますが、いつも下瞼に墨で半円を描いて目をまん丸く見せ、奇妙なフサフサした口ひげを蓄え、なにか困ったことに出会うと、独特のイントネーションで、「あーのね、おっさん、わーしゃ、かなわんよ!」と甲高くいうのです。このギャグが子供たちに大受けして、その物まねの上手な子がクラスの人気者になりました。この映画は戦争で息苦しく暗くなった時代に現れた、楽しいメルヘンとして強く記憶に残っています。

ところで最近になって、紀元2600年奉祝週間に、「エノケン孫悟空」と同時に国策映画「大日向村」が封切られていたことを知りました。古川隆久著「戦時下の日本映画」(吉川弘文館)によると、この「大日向村」は、満洲開拓移民をテーマとした映画で、長野県大日向村が困窮した事態を打開するために分村を計画し、1937年から満洲への移民を始めたという実話を劇化したもので、当時、我が国の農業政策ならびに拓殖政策上、極めて重大な意義を持つという理由で文部省推薦を受けたということです。しかし、興行成績は「孫悟空」が大入りだったのに比べ、「大日向村」は余り振るわなかったそうです。そして満洲への農業移民はこの頃から急増したといわれています。著者は満洲移民の実態とその悲惨な結末に触れ、これらのことを知っている立場からは直視するのがなかなか辛い映画であると記しています。私にはこの映画を見た記憶がありませんが、敗戦後、中国東北の町で悲惨な開拓者難民に出会い、ともに日本に引き揚げて来た過去を思い出し、一読して著者と同じ辛い思いに駆られました。土地を収奪された中国の農民、国策に乗って中国へ新天地を求めた日本の農民、ソ連軍の進攻、日本軍の敗退、そして引き起こされた悲惨な結末。それらは今なお残留孤児、残留婦人問題となって残っているのです。

 エノケン孫悟空は変幻の術を使って大空自在に飛び回りましたが、海を渡った満洲移民の問題は大地に深い刻印を残したのです (2003.11.8) 

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