中国ビジネス奮戦記

中国での携帯電話ビジネスに日夜奮戦している北本同学より、その様子をご紹介いただきました。

北本同学より

 私は元来B型で楽天的な性格ですので、奮闘記ではなくたぶんに快楽記かも知れませんが、中国でのビジネスの参考になればという事で投稿してみました。
中国とのなれそめ
 私と中国との関係は、仕事の関係として2000年の春から始まりました。
通信事業分野への進出を計画している
山東省青島市にある中堅企業から、携帯電話の開発と製造の技術提携の依頼があり、この交渉の為に青島へ出張したのが最初でした。

 社内にはテレビの合弁会社や販売等で中国ビジネスの経験者が多く、事前にはいろいろとレクチャーを受けてい来ましたが、やはり実際に見るのと聞くのでは大きく違いました。中国の発展のスピードは速く、リゾート地で有名な
青島においても高層ビルの建築ラッシュで、市街の整備状況も
素晴らしく見えました。しかし、一歩裏側に回ると旧態依然の面もあり、またマナー等々でも日本と比較するとそのギャップの大きさに戸惑いを覚えました。さらに中国の法律も日々改正されており、日本で聞いた経験者の話と異なることが多く、「日本での中国通と言っても??」と感じました。
 契約交渉でも、そして契約締結後の技術指導でも日中の考え方は異なり、同じような顔立ちをしていても外国だと、そういう意味ではとても良い経験をさせて貰いました。

 この時期は、
青島に月1回ペースで出張し、土日のフリータイムは周辺の観光等を楽しみました。
青島といえば青島ビールが有名ですが、青島のある山東省はビールの他に葡萄酒、白酒も有名で、青島ビール祭りが開催される8月下旬に合わせて出張し、生ビールを堪能したり、中方(中国側)の企業メンバーと乾杯の勝負でトコトン飲んだり、特に70度の白酒で飲み比べをしたことが楽しい思い出です。
 
青島は観光地ということもあって、他の都市に比べて安全で夜の一人歩きも問題がなく安心でした。滞在していたホテルの隣には日本のジャスコが出店しており、日常的に必要な物の入手は困らなくて快適でした。

 さて仕事の話に戻りますが、
青島の現地企業への技術指導を進める一方で、携帯電話の開発リソースの確保と自社ブランドの事業展開の為の準備として、北京に手机(携帯電話)開発室が設置され、青島プロジェクトとの兼任でこの部署を任されました。そのため北京を中心に、上海深セン広州寧波長春大連と青島以外の各都市へ出張する機会が出来、地域差や企業差を見ることが出来たのもいい経験でした。
 しかし、残念ながら訪れたのは主に大陸沿岸の経済発展している地域で、西部地域や東北地域、その他奥地への出張機会が無かったのは少々惜しい気持ちです。

はじめての上海観光
 開発室を設置した中国の会社では、福利厚生の一環として年一回の社員旅行があり、私は2002年に参加しました。
 行き先は上海経由黄山で木曜日出発の日曜日戻りの3泊4日でしたが、中国人のスタッフも上海は初めてと言うこともあり、仕事を早々に切り上げ先発チームとして早めに上海に入りました。
 豫園観光後にエリザベス女王やクリントン大統領も訪れた事がある有名な緑波廊で小龍包を食べた後、外灘を観光して後続チームと合流し、黄山翡翠谷観光に向かいました。
 この時の
外灘での夜が美しくとても中国とは思えない程でした。(写真)

中国語をはじめる
 中国語については当初全く関心が無かったのですが、やはり多少は喋ることが出来た方がアフターファイブが楽しくなると言うアドバイスを受けて始める覚悟を決めました。
 当時は社内にも中国要員育成プログラムがあり、中国関係の業務担当者は受けていましたが、私の場合は出張が多く日本にいない期間が長いので、個人で中国語レッスンを受ける事にしました。
 最初は某大手駅前スクールで学習スタートしました。ここは会話主体で、それはそれで良いのですが、時間の制約等もあり、途中からは現地での実践会話主体??に切り替えてしまいました。しかしやはり我流では進歩が遅く、帰国時のみでも学ぼうと思い万里中国語学院のお世話になった次第です。

 
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